小林多喜二 没後90年

たまき武光

2023年02月25日 18:00

 はいさい、ぐすーよーちゅーうがなびら。
 2月20日は、作家・小林多喜二の没後90年にあたります。

 1933年2月20日の小林多喜二の虐殺はあまりにも有名です。天皇が絶対的な権力を持ち、警察も軍隊もそのもとで横暴を極めた戦前には、天皇制や軍国主義に反対したために逮捕・投獄、虐殺された人はかなりの数にのぼっています。

 25年、普通選挙法(男子のみ)と抱き合わせに、天皇制廃止、侵略戦争反対を掲げる日本共産党をはじめ、革命的労働・農民運動を弾圧する目的で治安維持法が制定されました(28年に死刑・無期刑に改悪)。その違反名目での逮捕者は数十万人にのぼり、司法省調査でも送検者7万5681人、起訴者5162人、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の調査では、明らかな虐殺だけでも日本共産党幹部など65人、拷問・虐待死114人、病気その他の獄死1503人といわれています。

 多喜二の虐殺もそういう歴史の文脈のなかでのことです。同時に彼の場合は、逮捕数時間後の激しい拷問によるものでした。それは彼の作品が、治安維持法の適用による大弾圧「三・一五事件」での警察の拷問の実態を暴いた「一九二八年三月十五日」や、労働者搾取の国家構造を描き出した「蟹工船」、農民と労働者の共同闘争を描いた「不在地主」など、戦争突入前夜に、政府の戦争と労働者抑圧政策を鋭くえぐる内容で、しかも読者も多く、国際的にも高く評価され、為政者から特別に憎悪され、恐れられたからです。

 多喜二が作家同盟の中央委員・書記長、プロレタリア文化団体の党グループ責任者など重要な位置にあったことも、「生かしてはおけない」理由だったのでしょう。多喜二の作品は敗戦までは持っているだけで逮捕される国禁の書とされました。

 日本共産党は昨年、100周年を迎えました。戦前・戦後、一つの名前で通してきた政党は、日本に一つしかありません。それには理由があります。戦前、太平洋戦争に向かう時期に、日本共産党以外のすべての党は自分の党を解散して、「大政翼賛会」に合流して侵略戦争を進めました。そのため戦後、同じ名前で出てこられなくなりました。
 命がけで侵略戦争に反対してたたかいぬき、小林多喜二、野呂栄太郎、伊藤千代子など、私たちの素晴らしい先輩が迫害で命を落としました。しかし、日本共産党が主張した方向が正しかったことは、戦後の日本国憲法が証明したのではないでしょうか。

 今また、戦前を思わせる、平和を壊す「翼賛政治」の危険を感じます。

 岸田政権は、「専守防衛」を投げ捨て、敵基地攻撃能力を保有する、そのために5年間で43兆円に軍事費を増やす大軍拡に突き進んでいます。国民にも、国会にも、まともに説明せず、「閣議決定」だけで日本のあり方を大転換させることは許せません。戦争の準備をすれば戦争の危険が増えます。平和を望むなら、戦争の準備でなく、平和の準備こそすべきではないでしょうか。日本共産党は、大軍拡をストップさせるために、結党以来、反戦平和をつらぬいてきた党の存在意義をかけて全力をあげます。

 政府は「日本を守るため」と繰り返しますが、「安保3文書」では、集団的自衛権の行使として敵基地攻撃を行うこともできると明記しています。日本が武力攻撃を受けていないのに、米軍が戦争を始めれば、それが先制攻撃の戦争であっても、相手国に日本が攻め込むことになります。そうなれば相手国から大規模な報復攻撃を受け、日本は焦土と化します。「日本を守る」のではなく、「アメリカの戦争に日本を巻き込む」ことが正体です。

 大軍拡とそのための大増税、暮らしの予算の削減・流用、そして、国民にも国会にも説明もせずに「閣議決定」で国のあり方の基本をひっくり返してしまうというやり方に、強い批判と不安が広がっています。「日米同盟は大事だ」とか、「多少は防衛費が増えるのは仕方ない」と考えている人たちからも、岸田大軍拡には反対の声があがっています。

 「軍事栄えて民滅ぶ」国にしてはなりません。岸田政権の大軍拡に反対するという一点での国民的な共同を広げ、大軍拡を阻止するために、日本共産党は奮闘します。









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